健美伝心 長崎県編

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母の愛 長崎の優しい幽霊 ~光源寺 『産女(うぐめ)の幽霊』~

,イベント・スポット,由佳理編集員

鳴り物の花火で 街中が賑やかなはずなのに 哀しく寂しい余韻を残す精霊流しが終わった翌日 8月16日 長崎市内の光源寺では 毎年 この日だけ このお寺にまつわる幽霊の像が御開帳されます。

筆者の実家はこちらでお世話になっていて 彼岸や盆 暮れ など 時折 参りに行っているので この幽霊の御開帳があることも知ってはいたものの 行きそびれ続けて ウン十年 が過ぎてしまいました。

それで「今年こそは !」と思い ようやくお目にかかることができました。

この幽霊のお話 私は 「飴屋の幽霊」と言われていたので そうで思っていましたが「産女(うぐめ)の幽霊」とも呼ばれています。


*光源寺の門


*光源寺の本堂

光源寺では 16日の午前10時から14時まで御開帳されていて 本堂で 紙芝居によるお話が行われています。

紙芝居は11時から始まるそうですが その後は ある程度 人が揃ってからのスタートのようです。

幽霊のお話を聞いてから いよいよ 御開帳 。

本堂横の薄暗く ヒンヤリとしたお部屋へ移動すると 数枚の幽霊の掛軸と紙芝居の原画が灯りに浮かび上がっており 正面に焼香台と御供え者が置かれ 産女さん が祀られておりました。

私が 訪れた時間はお昼過ぎでしたが 学童のお子さん達が引率の方々と来ていて きちんとお話を聞いてからの幽霊像を目にしていたので ひどく怖がるような事もなく住職さんのお話を聞いていましたよ。

住職さんが 「幽霊さん 優しいお顔されてるでしょ?」と問い掛けておられましたが、子供達は素直です。

見たまんま、首を横にプルプルと振っているのを見て思わず プッと吹いてしまいました。

お話を聞いて優しい事は理解できても 確かに 優しい顔には見えません、、、。

ですが 優しい心を感じてくれていたのではないかと思いました。

住職さんのお話によると この幽霊さんは270年前に造られ その頃は今とは姿が違っていて幽霊のお馴染みの手首を胸元で垂れ下げるポーズではなくて 画像のように 赤子を抱くようなポーズで 赤子も抱いていたのだそうです。

しかし 今から 72年前 原爆により 光源寺も被害を受け このような姿になったのだそうです。

ずっと 我が子を抱いていたかったろうに、、、。

産女の幽霊のお話

*幽霊さんにお目にかかった後 お話が書かれたプリントを頂きましたので それを引用致します。

昔、長崎の麹屋町に一軒の飴屋さんがありました。
ある晩、戸じまりをしようとしていると
トントン、、、とおもての戸をたたく音がします。
「 ごめんやす、飴を一文ほど売ってくれはりますか。」
戸をあけると、そこには真っ青な顔の女の人が立っていました。

飴屋の主人は、”こんなおそくにどこの誰やろうか。気味の悪かね、、、"
と思いながら飴を1つ売りました。

ところが次の夜もその次の夜も 女の人は飴を買いにきたのです。
それから七日目の夜のことです。

「すんまへん。今夜はお金がなくなってしもうたさかい、
飴を一つめぐんでくれはりませんか。」

不思議に思った飴屋の主人は飴をめぐんで、
女の人の後をそっとつけてゆきました。
すると、女の人は光源寺本堂裏のお墓の前でふっと消えたのです。
「うわっ、こ、ここは、墓じゃなかね!」
飴屋の主人はあわてて逃げ帰りました。

翌朝、光源寺の住職さんに立ち会ってもらい、
お墓を掘りかえしてみると、あの女の人が生まれて間もない
元気そうな赤ちゃんを抱いているではありませんか。
女の人は、お墓に入れてもらった六文銭を一文ずつ使い
赤ん坊に飴を買って食べさせていたのです。

住職さんが不思議に思って調べてみると、藤原清永(ふじわらせいえい)
という若い宮大工が父親であるとわかりました。
清栄は京都で修行中に女の人と恋仲になったのですが、
長崎に戻ると 親の決めた別の女の人と結婚したのです。

命がけで京都から長崎までやってきた女の人は、
行くあてもなく、悲しみのあまりに死んでしまったのでした。
清栄は悪いことをしてしまったと嘆き、赤ん坊を引き取って
育てることにしました。

数日後、飴屋に また あの女の人がやってきました。
「おかげさんで我が子を助けてもらえたさかい、
なんぞお礼をさしてもらえへんやろうか。」と言います。

飴屋の主人が「この辺りは水がなかけん困っとります。」と言うと、
女の人は「明日の朝、この櫛が落ちているところを掘ってみておくれやす。」
そう言い姿を消しました。

翌朝、近くに 女の人の櫛が落ちており、早速 掘ってみると
冷たい水がこんこんと湧き出してきました。

町内の人々はここに井戸を作り、この井戸は、
渇れることなく人々の喉を潤し続けたということです。

このお話の中に出てくる 飴 ですが お米から出来ていて とても柔らかいので 赤ちゃんでも食べることができたようです。

帰りに この飴が配られましたので 早速 食べてみました。

「常温だと柔らかいので 冷蔵庫に入れて 硬くしてから食べるといいですよ」と ご住職のお話にありましたが キッチンバサミでカットしても大丈夫でした。

お味は あっさりしていて とても素朴な味で美味しかったです。

それから 幽霊さんのお墓ですが その場所は光源寺の本堂に向かって左側に行くと赤子塚と言う石碑が建立されています。

石碑は先代住職の 楠 達也 さんによって平成十四年に建立されたものです。

そこには こう刻まれておりました。

南無阿弥陀仏
「十億に十億の母あれとわが母にまさる母あらめやも」暁鳥 敏
長崎では「飴屋の幽霊」とも「産女の幽霊」とも言われる赤子塚の民話は
全国各地に伝えられています。
すべて子を思う母の心の美しさ、情の世界を大切にとの思いであります。
ここ光源寺にも江戸時代に作られた 名工 藤原 清永 の作と伝わる
日本でただ一つの幽霊像が現存しお盆の十六日にご開帳されます。
母なる心を失った今日このお話を大切に子や孫に継承されることを念じて
この碑を建立いたします。合掌
平成十四年(二〇〇二年)八月十六日 光源寺第十六世 釋 達也

幽霊さんのお話を聞いた後 帰りに お寺で頂いた幽霊井戸があった場所を訪ねてみました。

この地図を元に探してみましたが、実際 探し当ててみると非常にわかりにくい、、、。

地図がわかりにくいのではなくて 幽霊井戸跡とも何も 標識などなく 画像をご覧になればおわかりいただけいただけるでしょう?

当時 この地域を潤したであろう井戸は小さなコンクリートの塊になっていました。

この場所をお探しの際は 井戸跡の正面に 面白い内容のおみくじなどがある自動販売機を併設した駐車場を目印にした方がわかりやすいですよ。

ようやく ご開帳の日に 幽霊さんにお目にかかることが出来ました。

今の年齢になったからこそ 母として 子の行く末を思う 母の想いが染み入るお話だなと感じました。

母親として 改めて気合いが足りなくなったと感じる度に お目にかかりたい幽霊さんでした。

執筆:由佳理編集員
カラダの衰えに焦り、今はランニングが趣味。1968年生まれの私のプロフィール
(顔写真付き)は下記のURLをクリック(タップ)するとご覧いただけます。
http://kenbi-denshin.com/nagasaki/editor/2008

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